義理と人情の最強の刀剣。
【製作依頼(カゴに入れる)】
堀部安兵衛拵え「 孫六兼元 まごろくかねもと 」
こちらの模造刀は、「孫六兼元(まごろくかねもと)」。
「関の孫六」の呼称でも知られる、この名刀は、
室町時代から名高く語り継がれています。
多くの武人が憧れ、愛用した「孫六兼元」という刀。
そのなかでも眩しい声望を放つのが、
この刀と、堀部安兵衛(ほりべやすべえ)との、ドラマチックな英雄伝でしょう。
堀部安兵衛は、赤穂浪士(あこうろうし)随一の剣客であり、
義理と人情に殉じた武士といわれています。
この孫六兼元の最大の特徴は、三本杉の焼刃。
地へ向かい連なって突き出る様は、
恐ろしいまでの迫力。
鉾先にいたるまで、
見れば見るほど魅了される刃文です。
刀から溢れる気迫は、
まるで、堀部安兵衛の凄味が、「孫六兼元」に宿っているよう…。
豪胆な精神が籠められた、この刀とともに、
元主人は、壮絶な死線をくぐり抜けてきました。
鞘を染める梨地の真紅色は、
孫六兼元の内の熱い血潮を感じさせます。
「誠実」の花言葉をもつ牡丹の柄金具が、
戦いだけではない、
義と情に通じる心を表現しています。
「不断長久(ふだんちょうきゅう)」を意味する、紗綾形(さやがた)の漆黒透かし鍔と、
漆黒の巾木(はばき)が、
赤みをまとう拵えにシックな風合いを加えます。
この刀の全長は約1,250cm、重さは1,080g〜1,260g程。
大胆なまでの風格さを兼ね備えた、存在感のある大きさです。
「孫六兼元」の販売価格は、
少量限定なおかつ、当店限定拵えで、68,000円(税込)でございます。
(※初回生産、限定3振のみとなります。ご入金から2週間程度での発送となります。)
(※こちらの刀には、刀袋がついてきます♪)
(※職人からの伝言: こちらの刀は飾り用を目的としているため、居合刀としての使用や素振りなどには一切ご使用いただけません。恐れながら、繊細にお取り扱いいただきますことを、あらかじめご了承ください。)
当店では、女性スタッフが、主にご対応・秘密梱包(刀と分からないように)いたしておりますので、はじめての女性の方でも安心してご購入いただけます♪ 当店の評判は、twitterで「むしゃ処」と検索!お客様の生の声をご覧くださいませ♪
※あわせて、刀掛台・お手入れグッズ&特上刀袋なども販売しております。
※お支払方法や送料につきましては、こちらをご確認ください。
※一つ一つ職人の手で製作されているので、小さな傷が見受けられたり、色味など多少写真と異なる場合がございます。ご了承ください。
※手作業での製作上、鯉口の固さに、個体差がございます。
申し訳ございませんが、こちらの刀の鯉口の固さはご指定いただけません。あらかじめご了承ください。。
※模造刀の所持には、免許は必要ありませんが、お取扱いにはくれぐれもご注意願います。
※当店(梓想庵)へご来店いただいても、販売商品はご覧いただけません。
※男性のお客様へ: 当店は、女性のお客様に、安心&お喜びいただけるお店を目指しております。
そのため、梱包など随所に可愛いらしさ を施してございますため、女性やお子様へのプレゼント、またコスプレ目的でのご利用には大変お勧めでございますが、“武将らしさ”を求める男性のお客様には、当店の可愛いさ
から、武将感が足りずにご満足いただけないものと思いますので、他店を強くお勧めさせて頂きます。また当店が、女性のお客様を、優遇・大切する店でございますことを、あらかじめご了承下さいませ。
※もし、刀をお迎えされるにあたって、ご不安やご心配がございましたら、こちらをご覧くださいませ。 きっと、安心して、刀をお迎えいただける、心の準備ができると思われます♪
【「孫六兼元」と堀部安兵衛の英雄伝】
堀部安兵衛は、孤独な生い立ちでした。
母は、安兵衛の産後間もなく亡くなり、
父、祖父母をも若い時分に失います。
孤児となった堀部安兵衛は、
母の実家や、姉の嫁ぎ先へと転々としていました。
不幸な境遇にもかかわらず、
彼は前に進むことを諦めませんでした。
やがて、堀部安兵衛の努力と、
天性の胆力とが実を結び、
唯一無二の剣士へと成長します。
そして、十代後半には、
自他共に剣の腕が認められます。
”義”によって助太刀ちした「高田馬場の決闘」では、
凄まじい戦いぶりを示し、
一気にその名声を高めました。
このとき共にあった「孫六兼元」も、
さぞ得意であったことでしょう。
決闘を経た堀部安兵衛は、
新しい家族と、
新しい士官先を得ることとなり、
人生が好転し始めます。
妻や義父と、とても良好な関係を築き、
職務も数々の成果をあげます。
腰に差す孫六兼元も、
しばしの休息を得て、
まさに安寧の時が流れました。
しかし。
その幸福な時期は、
けして長くありませんでした。
赤穂事件(あこうじけん)が始まるのです。
江戸城で刃傷事件が発生し、
堀部安兵衛の主君は即日切腹となり、
あっという間に、
彼の仕える赤穂藩(あこうはん:兵庫県の一部)は取り潰されてしまいます。
主君と職を一度に失い、
浪人となった堀部安兵衛は、
その生命と人生を懸けて、
主君の仇討ちを誓うのでした。
約二年後、
大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)率いる、かの有名な赤穂浪士達が、
仇敵の屋敷へと討入りました。
刀「孫六兼元」とともに、
堀部安兵衛は、赤穂浪士達の主力として、
最後の戦いを繰り広げます。
そして、討入りは成功。
堀部安兵衛は一番の戦果を上げました。
しかも、なんと驚愕なことに、
堀部安兵衛は、敵方を誰一人、斬殺していなかったといわれています。
それは、
「(敵方の)家臣に遺恨なし」と、
無駄に生命が失われないよう配慮をしていたのです。
まさに、恐るべき実力と、
義理人情の化身と言えるでしょう。
その後、
討入りの責任として、堀部安兵衛は名誉な切腹を遂げ、
その義理に忠実な命を果てるのでした。
主を失った...孫六兼元。
その刀身、
鞘、
金具、
そのすべてに、
卓抜した剣技と
気合い、
熱くたぎる義と情の魂が、
静かに収められています。
この熱い魂を、
あたたかく受け止めてくれる存在を、
孫六兼元は長い間待っていました。
「もう戦いは終わったのよ。」と。
ささやいてあげてください。
受け入れてあげてください。
あなたの心で、
この壮絶な義を刻まれた、この刀を。
孫六兼元のすべてを。
今 そっと優しく胸に抱き。
【孫六兼元をお迎えする】